2005年06月14日

アキヒコからのメッセージ(4)

 
現場でワイワイ外断熱の地熱住宅を学ぶ集い
※詳しくはこちら  6月25日・26日

当ブログの管理人、渡辺です。
      この【アキヒコからのメッセージ】というカテゴリーは、
      建築中!の家の施主でもある大槻ホームの代表、大槻明彦が
      自らキーボードをたたいて投稿している、社長のメッセージです。
 

 
みなさん日頃『外断熱の地熱住宅★ただいま建築中!』をご覧いただき誠に有難うございます。 フロフィールと言うか、とてつもない話と言うか、
いかがでしたか。

私の出生から中学校卒業までが、良くとはいえないが、少しは、

分かりましたよね。

 


 

さて、私が入った(入れてもらった。) 高校の当時の名前は、

東工学園、東京工業高等学校建築学科でしたが、現在は、

日本工業大学付属工業高等学校建築学科で、

昭和51年4月の事です。中学校の担任の先生のアドバイス

に従い、右応曲折の上、この学校に入った訳です。

中学校時代は、帰宅部でした。しかし、高校に入ったわけだから

何かに入ろうと、どうゆう訳か考えた私でした。

 

その当時、すでに、体重が80圓△蝓△なり太っていた為、

スポーツ部??いまさら無駄と考えた末、文化系の建築研究部

に入部した次第です。なぜこの部??と言うと、単純な理由で、

担任の先生が、何か部活動に入れと、熱心に皆に勧めていた

中でよさそうと思った事。隣に座った奴も一緒に説明会に行こうと

誘われた事。応援団に無理やり入れさせられそうになった事。

最後に、建築を一応勉強しに入ったのだからちょっと頑張ってみよう、

と思った訳です。

(少しだけ偉い私)

  

 高校生活

 

 ←左端が私。

  充実した高校生活。??

 

 

 

 

当時、建築研究部には、3年生が5・6人、2年生が4人だったか、

そして、新入部員の1年生が8人くらい(忘れてしまった。まずい)

入ったのでした。

 

活動の内容は、毎年11月に行なわれる。東工祭に出品する展示品の

作成が主な活動で、3年生が中心となり、展示内容の考察から始まり、

それに伴い、夏合宿を行い、合宿地の調査・研究そして、模型類の製作、

展示。東工祭が終ってからは、建築物の事例研究と、かなりかっこいい事

をしていた訳でありますが、実は、そんなにたいした事をしていた記憶がありません。

(私だけかも)

しかし、1年生の時の夏合宿は、すばらしかった思い出があります。

岐阜の郷の合掌造りの見学に行った事です。合掌作りの民宿に2泊3日

の工程で、東京から、新幹線で名古屋まで行き、名古屋から金沢行きの

国鉄バスに揺られること4時間、ようやく到着、降りたとたん

合掌造りの民家が眼下にひろがった光景に、感動した記憶があります。

日本にこんな所があったんだなぁーと感じた次第です。

(今の建築に対する情熱は、ここが原点かも)

一年生で始めての合宿。夜は、高校生だから酒無しのドンチャン騒ぎ、

朝起きたら、顔が墨で真っ黒、と色々と合ったしだいです。

2日目は、午前中は、合掌造りの民家の調査。午後は、随分遠かった

記憶がある、御母衣ダムまでのサイクリング。

(ママチャリで太っていたからきつかった。)

と、楽しいながらも先輩を立て、規律ある夏合宿、今となれば、

すばらしい思い出です。

  合掌作り

 

 

 ←夏合宿での、顧問の先生と1年生。

 

 

 

  

その年の東工祭の展示品は、合掌造りの民家の模型の展示でした。

1m真角程度の大きい物ながら、細かい所まで、詳細に作り、

見学者を感動させたようです。

(私は、ろくに手伝っては、いないが)

 

 

この様に、すばらしい高校生活一年でした。(本当かなあー)

続きは、次回とさせて頂きます。



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合掌造り【三代目工務店の施工日記】at 2005年06月25日 02:04